仏教の教えでは、今私たちが生きているこのいのち(生命)は神が創造したり、私たちが自分で作ったものではありません。このいのち(生命)こそ、私たちにとって、かけがえのない宝物であります。日ごろの生活のなかで、「生きていてよかった」という、生きることの喜びを感じたことが何度となくあったことでしょう。
このいのち(生命)は、親からいただいたいのち(生命)なのです。親はまたその親からと、さかのぼった数多くの親のいのち(生命)を、今自分のいのち(生命)としていることを忘れてはいけません。私たちはいのちに感謝しなければなりません。いのち(生命)を拝まなければなりません。
「我が頭(こうべ)は父母の頭(こうべ)、
我が足は父母の足、
我が十指は父母の十指、
我が口は父母の口なり。
譬えば種子(たね)と菓子(このみ)と身と影の如し。」
(忘持経事)
お父さんには子供に幸福を与える心があり、お母さんには子供に不幸を抜き去る心があります。
そのわけは、人間がこの世に生まれてくる訳は、人間が授かった運命を「因」とし、父母を「縁」としています。
もし父が居なかったならば生まれてこなかったでしょうし、母が居なかったならば育たなかったのです。
このように、心は父から、形は母から頂戴するのです。
ですから母が自分の子供を想うことは世間の何ものにも比べることは出来ないのです。