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■運命鑑定・厄除
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鬼子母神像 妙信寺には「厄除」「方位除」の神さまとして、
鬼子母神 ( きしもじん ) 」さまが勧請されています。
鬼子母神さまは日蓮門下では代表的な「厄除けの神さま」として知られており、法華経の陀羅尼品の中で、法華経信仰者に対し邪魔をするものは、どのような時も守護し、必ずお守りいただけることを強く約束されています。
当山では 厄除 方位除 の祈願者に鬼子母神さま法華経読誦の
( じん ) ( しゅ ) ( こう ) ( ほどこ ) して 魔怨 ( まおん ) 降伏 ( ごうふく ) し厄を 滅除 めつじょ せん」
この功徳を頂戴しご祈祷しております
 
 
◆人生を開運に導く指針として  

私自身、仏教の教えを説くなかで、人生相談という形で人の悩みを解決したいと考え、若い頃からいろいろなところに勉学に歩きました。そして人を導くうえでの指針になるものとして十干鑑法・四柱推命の教えにたどり着きました。

人は誰もが何かしらの悩みを抱えています。性格・仕事・恋愛・結婚・人間関係など、四柱推命で鑑定できることはたくさんあります。こうした悩みや苦しみを抱えている方は、ぜひご相談ください。そして自分の運勢を知った後は、自分にとってどの様な努力が必要なのか(用神)、何を注意して行動すべきなのか(悪神)、気を付けるべきところを指導させて頂き、人の人生を開運に導く機会を設けています。

◆四柱推命とは?  

四柱推命は、古代中国で成立した科学的思想「五行説」と深い関わりがあります。つまり、すべての物質は「木・火・土・金・水」という五つの元素によって構成され、われわれ人間はこの五行の影響から逃れられない存在である、という考え方です。これが発展して、後に人間の生活に必要なものや宇宙を説明する原理とされるようになったと言われています。四柱推命ではこれを人の人生に当てはめ、運命を占うことが基本となります。

「十干十二支」という言葉を聞いたことがあるでしょう。五行説では、五つの要素に陰陽が加わり、十種類の星「十干」が成り立ちます。さらに「十二支」は、十二種類の動物になぞらえた文字を用いて、年月や日時を表す数字の代用とされてきました。

四柱推命は、人の生まれた年・月・日・時をもとに干支の関係性を見定め、五行説と関係の深い十進法の「十干」と十二進法の「十二支」を合わせた「六十干支」の巡りを見て運命を占うものです。この生年月日を出す事により元来その人が持って生まれた性分が分かります。車に例えますと、その人の生まれ持った命式がエンジンです。そのエンジンの大きさや(大・中・小)性能・特徴を見極めます。そしてそのエンジン(命式)で人生と言う道を走ります。その道が大運と言い、真っ直ぐ走りやすい道なら良いのですが、なかなかそうは行きません。人生と言う道でどの年齢で雪道になるのか、ジャリ道になるのか、何処に落とし穴があるのかを判断します。この時各人に必要な用神・不必要な悪神と言う物があります。この用神・悪神を見極める事によって、走る先に待っている困難と言う道を回避する事が出来ます。

◆姓 名  

姓名に関しても、四柱推命の教えを基本とし人の生まれ持った性格性質に必要な画数、配置の意味の吉凶を説明しながら、相談者と共に考え命名させて頂きます。
 
厄年とは、一生のうち肉体的にも、精神的にも、厄難に遭うおそれが多い年齢を言います。 医療の発達した今日でも、なお気をつけなければならない年齢として知られています。
厄年が信じられてきたのは、室町時代の頃からで、その根拠の一つとなったのは、陰陽五行思想であります。 現在占いと呼ばれる多くがこの陰陽五行思想を基礎にしています。
 ▲各厄年とも前年を前厄・後年を後厄と称し、前後厄を入れ3年は人生における節目の年と言われ、特に男42歳・女33歳を大厄と称しています。
 
◆七五三詣り
七五三歳の子供の厄年の災いをはらい、これからのすこやかな成長と幸せを願うものです。
【3歳と5歳の男子、3歳と7歳の女子】
3歳は男女とも「髪おきの祝い」といい、はじめて髪をのばして着物を着る儀式。
男児5歳は「袴着の祝い」といい、はじめて袴をはく儀式。
女児7歳は「帯解の祝い」といい、はじめて本裁ちの着物を着て、本式の丸帯をしめる儀式をいいます。
そして13歳も子供の厄年です。生理的にも精神的にも子供から大人への変化が見られる時期で、「変体の厄を除く」と言われます。
以上の行事は「数え年」で行います。
数え年
元来、厄年・方位除・九星占いの年齢の見方は、数え年で行います。 数え年は生まれた時点の年齢を1歳とし(母の胎内の10月10日が計算されます)、以後2月4日を元旦とし、誕生日がくるごとに1歳を加算します。

満年齢
満年齢は現在私たちが使っている年齢の見方で、生まれた時点の年齢を0歳とし、以後1月1日を元旦とし、誕生日がくるごとに1歳を加算します。
※厄年・方位除の年齢を見るとき1月1日から2月4日までの誕生日の方は注意して自分の年齢を確認ください。
通常12月31日が大晦日で、年の始めは1月1日ですが、厄年・方位除の場合は2月3日が大晦日で2月4日が元旦になります。
  例) 昭和48年2月1日誕生日の場合 昭和48年1月1日より2月3日までの生年月日は昭和47年生まれと判断します。

なぜ数え年を用いるのか?
 
 
方位除も厄年同様九星と方位のめぐり合わせによって、悪い年回り、善い年回りの現象が現れます。この悪い年回りに人生節目の行動を起こす時(新規事業・自宅土地購入・転職・結婚・移転)に健康や行動に気をつける意味で、昔より「方位除」が行われています。

令和6年の方位除

二黒土星七赤金星九紫火星
一白水星三碧木星五黄土星
六白金星八白土星四緑木星
あなたの九星を計算します
生年月日を入力してください

「令和6年」の数え年は 歳です
現在の満年齢は 歳です
「令和6年」の九星は です

◆各星方位除
方位除は九星気学に基づいて判断するもので、各人の生年月日によってそれぞれが持つ星の特長を九つに分け、毎年動く星の動きによっての星吉凶判断を行ない、厄年に当たる場合法華経祈祷により方位厄を除く手法。
◆移転方位除
人が行動を起すとき、人生の節目の行動(自宅購入・店舗開店・転職・移転等)の場合、必ず目的の方位に向かって移動をします。その場合各年・各月の方位盤によって吉凶方位を判断し、方位除の祈祷を行う。
◆家相方位除
自宅・店舗などの家相を九星気学に基づき判断し、本来 吉 とされる方位 凶 とされる方位を判断し、凶とされる方位・家相がある場合方位除の祈祷を行います。
また方位が悪くない場合でも玄関・台所・便所・鬼門などを清める為の祈祷を行います。
本堂において個別の御祈祷

 
 
 
なぜ数え年を用いるのか?
なぜ厄年・方位除や占いになると旧暦や数え年を用いるのでしょうか?
それは明治時代、日本の開国によって諸外国との条約・調印日時などが合わないなどの理由で、それまで長年日本で用いられてきた月の満ち、欠け、の変化や日本の四季(24節気)変化を基準にした日の見方が廃止されました(これを旧暦とよびます)。この廃止された日が明治5年12月2日です。 つまり明治5年12月3日が、突然政府の方針で明治6年1月1日になってしまったわけです。
現在このように外国との交流の為に使い始めた現代の暦も、本来使ってきた時間とは約30日の開きがあり、日本の文化である年月日の見方や、自然本来の春夏秋冬は旧暦で判断するのが正しい訳です。この意より日本に生まれてきた私たちは厄年や人生を判断する占いを見るときは旧暦(太陽太陰暦)を使うのです。
 
 
◆開運 星祭札  

開運星祭の祈願では、人が生まれながらに持っている星による悪い年回り、善き年回りを判断し、当年の尊星をお祭りします。祈願日である12月冬至より2月の節分会までの約50日間、妙信寺御寶前にて法華経読経の功徳をもって、信仰の力で幸せな生活に導くものです。下記の通り星祭を執り行い、御寶前に祈願のうえ「星祭札」を授与します。ご家族ともにお申し込みください。
<祈願日>毎年12月冬至より御札授与日翌年節分会まで
<お札料>1名:1000円



◆冬至・正月・節分で「祈る」意味  

<冬至>
1年の始まりである立春に向かう準備として重要視されてきたのが、1年で昼の時間が一番短く、夜が一番長い日になる12月21日か22日ごろの「冬至」です。日本では、後に西洋から入ってきた暦の上の1月1日ではなく、"本来の"正月である立春を迎えるために、立春の前日である「節分」までが新年への準備期間でした。
「冬至」は立冬と立春のちょうど真ん中にあたり、寒さはこの頃から厳しくなっていき、いよいよ本格的な冬が訪れます。
この他にも、「冬至」に関して古くからの言い伝えや風習がたくさんあります。「冬至」のときには太陽の光が弱くなり、「死に一番近い日」と言われ、その厄を払うために身体を温めたり、無病息災を祈ったりしてきました。植物も衰弱するため、農耕生活の危機が訪れるときと見なされていました。一方、この日から再び昼の日照時間が長くなり始め、新しく太陽が輝きを増すことから、世界中で「冬至」を「陽気の回復や再生を願う日」とする風習が生まれました。

<節分>
「節分」とは本来「季節を分ける」、つまり季節が移り変わる節日を指していました。「節分」は立春、立夏、立秋、立冬の前日を指しますが、日本では立春が1年の始まりとして特に尊ばれたため、節分といえば春の「節分」だけを指すようになっていったと考えられています。
春夏秋冬の四季以外にも1年を24で割った季節があります。これは「二十四節気」と呼ばれ、立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒がそれにあたります。立春はこの中で最初の季節ですから、新年の始まりというわけです。
立春を1年の始まりである新年と考えれば、節分は大晦日にあたります。平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事が行われていました。そして室町時代以降は、豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し、民間にも定着していきました。
「節分」の豆まきは中国の習俗が日本に伝わったものとされています。豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っています。「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということなのです。

<キリスト教と冬至>
実は、クリスマスも「冬至」に由来した行事と言われています。「冬至」を境に日が伸びることから、この日を「太陽の誕生日」と考え、さまざまなお祝いの行事が生まれました。そのいくつかがキリスト教と結びつき、現在のクリスマスとして広がっていったようです。
ちなみにキリスト教では、旧約聖書の最初の創世記・第1日に、「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」と記述されています。これは神の言葉によって、混沌(暗闇)の状態よりもはるかによくなったことを示唆しています。また、出典によって違いはありますが、創世記には「光を造り、昼と夜を分けた」という記述もあります。これを「昼と夜を半分半分に分けた」と解釈すると、その日は昼の長さと夜の長さが同じになる「春分の日(当時は3月25日)」であり、天地創造の第1日目とも考えられます。

<ハロウィンと冬至>
日本でも一般的になってきたハロウィンの行事は、キリスト教の発祥の地で有る、アイルランドやイギリスと言われています。その原点は古代ケルト人の収穫感謝祭として秋の収穫を祝い、太陽の力が最も衰える日は悪霊や魔女が町をさまよう日であり、そういう邪悪なものが家に入ってこないよう、かがり火を焚いて追い払うための宗教的な行事でした。現在、ハロウィンは10月31日に行われますが、実は冬至の影響を受けているといるとも言われています。そして冬至を境に太陽の力が再び強くなるため、この日は「復活祭」の意味もありました。さらに、この時期にはさまざまな穀物や果物が熟することから「収穫祭」の時期でもあり、宗教的にとても大切な日と考えられていました。

<さまざまな宗教の原点>
このように、地球と太陽の位置関係によって定められている「節分」や「冬至」といった季節の節目は、いろいろなところに影響を与えてきました。なかでも太陽が入れ替わる「冬至」は、さまざまな宗教の原点となっています。世界の宗教と同じように私たち仏教の祈りも「冬至」と共にあり、日本独自の正月や「節分」までの祈りはとても重要な意味があるのです。

<正月とは>
正月とは本来、その年の豊穣〔ほうじょう〕を司る歳神様〔としがみさま〕をお迎えする行事であり、1月の別名です。現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼び、この期間を「正月」と言っています。
「正」には「あらためる、きちんとする」 などの意味があり、正月とは 「魂が若返り、新しくなる月」「1年の初めの月」を意味します。

<歳神様を迎える日>
正月は家に歳神様をお迎えし、祝う行事です。歳神とは1年の初めにやってきて、その年の作物が豊かに実るように、また、家族みんなが元気で暮らせる約束をしてくれる神様です。正月に門松〔かどまつ〕やしめ飾り、鏡餅を飾ったりするのは、すべて歳神様を心から歓迎するための準備です。
そもそも、私たちの祖先は"全てのモノには命がありなんらかの意味がある"という「アニミズム」を信仰しており、作物の生命〔いなだま〕と人間の生命〔たま〕は1つのものであると考えていました。そのため、人間が死ぬとその魂はこの世とは別の世界に行き、ある一定の期間が過ぎると個人の区別が無くなり「祖霊」という大きな集団、いわゆる「ご先祖様」になると信じられていました。この祖霊が春になると「田の神」に、秋が終わると山へ帰って「山の神」に、そして正月には「歳神」になって子孫の繁栄を見守ってくれているのだと言います。

<最古の年中行事>
正月は、日本の行事の中で最も古くから存在するものだと言われています。しかし、その起源はまだ詳しく分かっていません。仏教が伝来した6世紀半ば以前より正月は存在していたと言われています。「お盆」の半年後にやってくる正月は、本来お盆と同じく「先祖をお祀りする行事」でした。しかし、仏教が浸透しその影響が強くなるにつれて、お盆は仏教行事の盂蘭盆会〔うらぼんえ〕と融合して先祖供養の行事となり、正月は歳神を迎えてその年の豊作を祈る「神祭り」としてはっきり区別されるようになったと考えられています。

<霊に対する祝福の言葉>
1年の始めである正月は春の始まり、すなわち「春」とも考えられており、人々は春の訪れがもたらす生命の誕生を心から喜びました。「めでたい(芽出度い)」という言葉は「新しい春を迎え芽が出る」という意味があります。また新年に言う「明けましておめでとうございます」という言葉は、実は年が明け歳神様を迎える際の祝福の言葉でした。つまり、神様への感謝の言葉を人々の間で交わすことにより、心から歳神様を迎えたことを喜びあったということです。
1年の節目として、日本人は正月をとても大切にしてきました。正月に各家に降臨するとされる年神様にその年の幸運を授けてもらうため、さまざまな習慣が生まれ定着しました。
 
 
 
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