3月20日(春分の日)午後1時より、春彼岸会法要が厳修されました。多くの参拝者で本堂内は一杯となりました。誠に有難いことです。終わりに住職の挨拶があり、続いて今年興隆学林を卒業した善隆師・教師養成所を終えた善徹師より今後の抱負を交えた挨拶がありました。
3月20日(春分の日)午後1時より、春彼岸会法要が厳修されました。多くの参拝者で本堂内は一杯となりました。誠に有難いことです。終わりに住職の挨拶があり、続いて今年興隆学林を卒業した善隆師・教師養成所を終えた善徹師より今後の抱負を交えた挨拶がありました。
3月1日、祈願会法要が厳修され、御遺文「妙一尼御前御返事」を拝読、解説をいたしました。
「妙一尼御前御返事」
夫れ信心と申すは別にはこれなく候。妻の夫をおしむが如く、夫の妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く、子の母にはなれざるが如くに法華經・釈迦・多宝・十法の諸仏・菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて、南無妙法蓮華經と唱えたてまつるを信心とは申し候也。しかのみならず『正直に方便を捨て』『余の經の一偈をも受けざれ』の經文を、女のかがみをすてざるが如く、男の刀をさすが如く、すこしもすつる心なく案じ給うべく候。 等々日蓮在御判 南無妙法蓮華経
「現代語訳」
一体信心というのは、特別にこれといって難しいものではありません。妻が夫をいとおしく思うように、夫が妻のためには命をすてるように、親が子を捨てないように、子供が母親から離れないように、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神に信を入れて、南無妙法蓮華経と唱え奉ることを信心というのです。それだけではなく、法華経方便品の「正直に方便を捨てて」また法華経譬喩品の「乃至、余教の一偈をも受けざる有らん」の経文を、ちょうど女の人が身から鏡をはなさないように、また男の人が刀をいつもさしているように、瞬時も捨てないで考え実行していきなさい。
2月19日 供養法要を行いました。
今月より、北九州市本門寺 近藤文政上人より、奉納配布頂きました、
南無日蓮大聖人御妙判 昌拜し奉る「信行日課」 を拝読致します。
【四条金吾女房御書】
明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり故に
妙法蓮華経と名く。日蓮又日月と蓮華との如くなり。
「現代語訳」
明るいことでは日月の光りに勝るものはありません。
清浄なことでは蓮華に勝るものはありません。ですから法華経を日月と蓮華に譬え、
妙法蓮華経と名付けられたのです。日蓮もまた日月や蓮華と同じです。