妙信寺ブログ

12月1日祈願会法要

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12月1日(金)午後1時より祈願会法要が厳修されました。読経前にご遺文の拝読をいたしました。本年最後の月と言うことで、この1年間に私たちの作った罪障を消滅するべく、懺悔の気持ちを込めて拝読させていただきました。住職より檀信徒に皆様に、撰経による御祈祷がなされました。また、目下善隆師が入行されている、中山遠壽院大荒行堂の祈祷本尊前の左右の丸柱に「事悔聯」(じげれん)の二句の偈文を刻んだ楠の対聯が掛けられていますが、右句には「寒水白粥凡骨将死」(かんすいびゃくじゅくぼんこつまさにかれなんとす)と左句には「理懺事悔聖胎自生」(りざんじげ、しょうたいおのずからしょうず」と書かれており、各々の句の解説がありました。また善隆師からの手紙では、「気付き、ありがたい」とのコメントがありました。行中の様々な場面で気付きを学ばされ有難いと言っておられます。大切なことと存じます。無事成満を心より祈念いたします。合掌 善徹

「光日房御書」
それ、針は水にしずむ。雨は空にとどまらず。蟻子を殺せる者は地獄に入り、死にかばねを切れる者は悪道をまぬがれず。いかにいわんや、人身をうけたる者をころせる人をや。ただし大石も海にうかぶ、船の力なり。大火もきゆる事、水の用にあらずや。小罪なれども、懺悔せざれば悪道をまぬかれず。大逆なれども、懺悔すれば罪きへぬ。    等々日蓮在御判 南無妙法蓮華経

 

 事悔聯
寒水白粥凡骨将死
理懺事悔聖胎自生

「現代語訳」
それ、針というものは細いものですが水に沈みます。雨は空中にとどまることなく、必ず地上に降ってきます。蟻を殺した者は殺生の罪によって地獄に堕ち、死んだ屍体を切った者も地獄・餓鬼・畜生の三悪道へ堕ちることから免れることはできません。まして、人間として生まれた者を殺した人が地獄に堕ちることはいうまでもありません。しかしながら、大石も船の力を借りて海に浮かぶことができ、大火も水の働きによって消すことができるように、小さな罪でも悔い改めなければ必ず悪道に堕ちますが、大きな罪を犯した人でも悔い改めればその罪は消えます。

 

 

 

 

 

 
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中道善隆上人 遠寿院大荒行堂入行

平成29年11月1日中道善隆上人が遠寿院大荒行堂第初行に入行致しました。

11月1日午前6時妙信寺の唱題太鼓と共に遠寿院に向かいました。

お寺を出る時には祖父と涙の別れをし、壱100日成満の誓いを交わしました。

妙信寺を出る善隆師        本年入行の初行僧

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遠寿院日久上人廟で読経の後、瑞門をくぐり、荒行堂に入行する修行僧

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12月6日 面会日 

12月6日より面会が許され、35日間結界行で得たお経水行の功徳が表情・姿に現れていました。

体重は8キロほど減ったそうですが、凛とした姿を拝見して来ました。合掌

 

 
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11月19日供養法要

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11月19日(日)午後1時より先祖供養を厳修いたしました。初めに1日の法要と同じく再度、土籠御書の拝読をいたしました。住職より、現在遠寿院大荒行堂に入行中の善隆師のご修業を念頭に、「当時、病床にあられた日蓮大聖人はその枕元に後の日像聖人である、13歳の経一麿(きょういちまろ)を呼び、多くの法難にも負けない強い体力と精神力を持って京都の布教をせよと命じられました。日像聖人は大聖人のお言葉を身をもって実行するため25歳の時に鎌倉由比ヶ浜の浜辺において、11月より翌年2月までの百ヶ日の間大荒行をされた」のが始まりとの解説がなされました。身の引き締まる思いで聞かさせて頂きました。善隆師の無事成満を心よりご祈念いたします。合掌  善徹

土籠御書

日蓮は明日佐渡の国へまかるなり。今夜のさむきにつけても、ろうのうちのありさま、思ひやられていたはしくこそ候へ。あはれ殿は、法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母・六親・一切衆生をもたすけ給ふべき御身なり。法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず。心はよめども身によまず。色心二法共にあそばされたることこそ貴く候へ。                       等々日蓮在御判 南無妙法蓮華経

「現代語訳」
日蓮は明日佐渡の国へまいります。それにつけても今夜の寒さで、貴殿が籠の中で震えているのではないかと心配でなりません。この度の法難で、貴殿は法華経一部を身と心の二通りで読む、という貴い御身になられました。父母・六親のみならず一切衆生をも助ける使命ある御身となられたのです。法華経を余の人は、口だけ言葉だけ読み、心で読んではおりません。また心で読んでいたとしても、身で読んではおりません。そのような中で、貴殿は身と心の両方で読まれました。ですから貴いのです。

 

 
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