妙信寺ブログ

7月1日 祈祷会

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7月1日 祈祷会を奉修しました。

昨日より降り続いていた雨も法要時間(13時)にはすっかり上がり、

皆様帰路に着く際には傘が用無しになっておりました。

 

さて、本日より7月です。

お盆の季節がやって参りました。

今日はお盆の到来に因み、お盆の由来となった目連尊者のお話をより深く解説させて頂きました。

昔、目連というお坊さんの母が地獄に堕ちてしまい、その苦しみの様子をインド語で「ウランバーナ」といいこれが変化して「お盆」となりました。

我々が普段、お盆お盆と呼んでいる言葉の由来は実は「想像を絶する苦しみの様子」だったのです。

 

そこで要となってくるのが、何故、目連さんの母は地獄に堕ちてしまったのか。

そこにスポットライトを当て「因果」、「業」という難しい言葉を用い住職より説明がされました。

 

天気予報を見ると本日より2週間連続の30℃越「☀」マークでした。

皆様もどうかくれぐれも熱中症にはお気をつけ下さい。何よりも体が資本です。

 

合掌 記 善隆

 

 

 

 

 
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6月18日供養法要

令和5年6月18日(日)午後1時より供養法要を厳修いたしました。梅雨が明けたと錯覚しそうな、厳しい暑さの一日でした。それでも沢山の檀信徒の皆さまが参拝下さいました。誠に有り難うございます。

コロナウイルス感染症の話題も薄れて来ているように感じますが、皆様には如何お思いでしょうか?少しずつ傾向としては増えているようですね。九波が来るようなことも耳にします。でも個人個人が基本的な防止策を取っていれば感染は十分に防げると存じます。

本日は供養法要です。読経に入る前に、私達が物事を認識する段階における九識に関連した日女御前御返事の御遺文を拝読させて頂きました。

「日女御前御返事」

此のご本尊全く余所に求る事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり。等々日蓮在御判 南無妙法蓮華経

「現代語訳」

此の御本尊を「どこか別の場所にある特別なもの」と考えるのは間違いで、よそに求めてはなりません。私達が法華経(御本尊)を心から信じ「南無妙法蓮華経」と唱える、自身の命の中に厳然と備わっているのです。自分自身の生命の中に、仏の生命の宮殿があり、これを「九識心王真如の都」というのです。

方便、自我偈、神力偈、咒陀羅、唱題と続き、檀信徒の皆さまと、太鼓を打ちながら自我偈三転読修行を行いました。

終わりに住職より、お盆に向けて話がございました。意識に関連した六識、末那識、阿賴耶識及び九識に関連した説明を紙に書いて、分かり易く説明して頂きました。

檀信徒の皆さま、本日はとても蒸し暑い中、参拝賜りまして誠に有り難うございました。 合掌

善徹記

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6月1日 月例祈祷会

 

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6月1日 月例祈祷会を厳修しました。

徐々にマスクを外されている方も増えてきて、妙信寺の法要はコロナ前の形態に戻りつつあります。

 

本日は南無妙法蓮華経の経題の中にも説かれている「蓮華」についてお話させて頂きました。

「蓮華」とは猛々しい高い山に生息する植物でもなく、澄み切った綺麗な水の中から根を張る花でもなく、泥の沼地から根を張りそこから養分を摂取し花を咲かせます。

この生き方、在り方がとても大切なことを教えてくれます。

 

「不染世間法 如蓮華在水」

→蓮が泥沼の中から美しい花を咲かすように、人は汚れた世俗を生きていても清廉な生き方を出来る

という法華経の教えです。

 

昭和平成の頃のように「常識」と一括りで言いにくくなってしまった時代ですが、現代こそ蓮華のように「周りに染まらず」という生き方、在り方の大切さを学ぶべきかと思います。

 

 

、、、かと言って、周りに全く馴染まず自分勝手に信仰だけで生きてしまうのとはまた違うのですけれどもね。

「真俗円満」→仏道修行と世俗での生活を円満に。という意味です。

信仰一本にならずに俗世間とも円満に過ごす。要するに信仰だけでもだめですよってことですね。

 

合掌 善隆 拝

 
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