令和7年4月20日(日)午後1時より祈願法要を厳修いたしました。本日は蒸い暑い気温で夏本番が思いやられます。
法要前、私善徹よりご報告をさせて頂きました。去る4月14日から16日にかけて、住職、奥様と3人で薬王寺に御給仕に行って参りました。そこでの報告をさせて頂きます。
15日にお寺のシンボル的な存在だった樹齢約80年の栗の古木の伐採工事が行われました。直径約50センチくらいの大木で古木とは言え薬王寺を80年以上見守って来たご神木的な存在でした。
2人の作業者の内、1人は木の上に登り、もう1人は下で滑車を使い、切り取られた枝を下に降ろす作業で、木の頭頂部から数十センチづつ幹を伐採しながら下まで下ろすのを見ていると流石にプロだなあと感心した次第です。切り株の中心部は蟻が巣を作っており、これでは蟻には気の毒ですが、この木も永くは持たないだろうと感じました。益々激しくなる台風などの自然災害を考えると、残念ですが適切な伐採時期ではなかったかと思った次第です。最終的には根元まで伐採するそうです。
報告事項は以上ですが、令和5年12月に亡くなった、尊敬する私の叔父が描いた観音菩薩の絵が自宅から出て来ました。何年も前に貰ったもので永く失念していましたが、これも何かのお知らせと思い額に入れて仏間に掛けさせて頂いております。その絵画に小さく「たとえ私にあしたがなくても精一杯今を生きる」との文言が書いていてあります。私たちは明日が来ることについて誰も疑いを持たないのが一般的です。物事を先延ばしにすることは日常茶飯事です。しかし余命を宣告されたりすると、如何に只今のことが大切なことかと考えさせられます。この文言を読む度に、無為に1日を過ごせないなと思い、このように私も生きたいと度毎に思う次第です。
読経が終わり、住職の挨拶の中で、開基上人の第27回忌法要を失念していたことに触れられ、6老僧のおひとり日頂聖人の話をされました。日蓮聖人の第3回忌の法要のため池上に向かう途中、他宗と法論のため参列出来ず、父上である中山の法華経寺の日常聖人のご勘気を蒙り、遅参の理由を述べ許しを乞うが、他宗との法論はいつでも出来るが、3回忌法要は2度とないことであり、ましてや大聖人の報恩御会式に姿を見せないと言うことは最大の不義理であるとお叱りになり許しては貰えず、日頂聖人は深く反省し「此経難持 若暫持者・・・南無妙法蓮華経」と泣きながら銀杏の木の周りをぐるぐると回り許しを乞うたが、それでも許して貰えず云々。これを日頂の泣き銀杏と言う話をされました。ご先祖様に対して忘れてはならない御報恩感謝が如何に大切であるかの戒めと真摯に受け止めさせて頂きました。 合掌 善徹記