7月17日 盂蘭盆法要

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7月16日 新盂蘭盆法要

翌日7月17日には盂蘭盆法要を午前と午後の2座に分け厳修しました。

お盆と言う事で、「霊界」について法要前には「目連尊者の母」が居た餓鬼の霊界の話を説明させて頂き、法要後には「霊界」の意義について説明させて頂きました。

「八識」の内「六識」眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識は私達の寿命が終わると同時に、消滅します。しかし残りの二識「末那識 マナシキ」「阿頼耶識 アラヤシキ」の魂は残る。この魂が仏教で言う霊魂の存在です。そしてこの霊魂は苦しく辛く亡くなった場合は、その状態のままで保たれ同じ状態で次の人生を迎えてしまうのが、仏教における「霊」の教えです。

特に阿頼耶識は「大切なものをしまう蔵」又は「業」と言われていますが、人生が楽しく、行動した事が全てうまくいけば、良い思い出としての「良い思い出をしまう蔵」になりますが、霊魂の字を見ると 云(うん)と鬼(おに)の字から成り立っています。云の字は雲の下から竜が回転した姿を現す様子を現しているそうです。そして隣に鬼が有り「鬼」と「雲」と「竜」が合わさっている姿は、人間の人生を生きる大変さそのものを感じます。

またこのお盆の起源である、目連尊者の母の「慳貪の業」も本来私達人間界の持ち合わせた行動の宿題「業」の在り様を表しています。と言う事は「霊魂」になっても修行が続くと言う事です。

この事からも「霊」は自分では動き様が取れない為、供養する行為と生きている時に「徳」を積むと言う事が大変重要になります。お盆と言う行事は現在ではお休みの代名詞ですが、人間の元来持ち合わせた「意地悪の行動」を自らが感じ、反省をする心を見つめ直す良い行事です。

生きて「徳」を積む。「供養」やご先祖様へのお参りも大きな「徳」です。

業を重ねる。「イラっと」したら心にお題目を。宜しくお願い致します。

中道善信

 

 

 

 
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