令和5年2月19日(日)午後1時より供養法要を厳修いたしました。
お寺の境内の梅の花も、ちらほらほころび始め、確実に春の足音が近づいてまいりました。吹く風はまだ冷たく感じられますが、暖かい春の風を運んでくれています。まさしく三寒四温とはうまく言ったものですね。
読経の前に日蓮大聖人の御遺文、新池御書の一文を拝読させて頂きました。
檀信徒の皆さま(私も含めて)に対し、少しでも理解が深まるように、瀬野泰光先生の御著書「南無妙法蓮華経のこころ」を大いに参考にさせて頂いた上で、僭越ながら理解の一端を述べさせて頂きたく存じます。
法華経の信心に依らなければ成仏はありえないとか、法華経を信心の拠り所とせよと言う主張は、日蓮大聖人の独断ではなく、どれもお釈迦様の御本意であり「法に依って人に依らざれ」と言うお釈迦様の御遺言を守ることで必然的に導かれる結論だと言うこと。そしてこの御遺言を堅守することは御題目に生きることに他ならないと言うこと。従って日蓮大聖人の宗教は御題目に始まり御題目に終わるのだ、と言うことに少しばかり理解を深めることが出来たように思います。
コロナ感染者も大分落ち着いてきましたが、まだまだ安心は出来ません。お寺のように人の多く集まる場所では、換気とマスクはやはり必要だと感じます。
さて本日は、先祖供養法要です。例月のとおり、方便、自我偈、神力偈、咒陀羅、お題目、此要の後、檀信徒の皆さまと、法華経の中でも最重要の自我偈を太鼓を叩きながらの三転読修行を行いました。終わりに住職より挨拶があり本日の法要は滞りなく終了いたしました。
檀信徒のみなさま御修行大変お疲れ様でした。 合掌 善徹記
「新池御書」
此の経の信心と申すは少しも私なく、経文の如くに人の言を用ひず法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ。仏に成り候う事は別の様は候はず。南無妙法蓮華経と他事なく唱え申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり。如我等無意と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり。
等々日蓮在御判 南無妙法蓮華経。
「現代語訳」
この経の信心というのは、少しも自己流の解釈ではなく、また経文に忠実に、人の説に依らず、法華経一部に背くことがなければ仏に成れるのです。仏に成るということは特別のことではありません。南無妙法蓮華経と他の事にとらわれることなく唱えていくならば、自然と三十二相・八十種好を備えられるのです。方便品第二に「我が如く等しくして異なることなからしめん」といって釈尊の如き仏に簡単になれるのです。