7月1日 祈祷会を厳修しました。
まだ体が暑さにも慣れていない時期ですが、
季節外れの酷暑続きで7月1日にして寺内のエアコンをフル稼働させました。
この日の話は、
中道家の家族話になってしまうのですが、
5月の半ばに中道家の愛犬が死んでしまいました。
その当時自分が感じたことを率直にお話させて頂きました。
仕事柄、亡くなられた方のお見送り(お葬式)をお勤めさせて頂いております。
その時のお話として、「死後の世界とは」、「供養とは」などのお話をしておりました。
これらの話は確実な答えがないながらにしても、
それぞれの宗旨の祖(当寺であれば日蓮聖人)の遺文を教科書として、
それを学び信じ、人々に伝えています。
私も当然、それを当たり前の如くしており
日蓮聖人のお言葉から沢山のお知恵を頂戴し
学び信じ人々にお話しさせて頂いてました。
しかしながら、
犬の亡骸を目の前にして、これらの内容が本当なのか?と疑ってしまい止みませんでした。
・供養は本当に届くのであろうか
・肉体と魂は分離するのだろうか
・そもそもお経に意味があるのか
このようなことを考え始めたら僧として持ち合わせている知識が混沌としてしまいました。
さて、今、中道家愛犬の死の話をさせて頂いていますが、私が今回の件から学びを得たのは、
「悲しみの共有による心的ダメージの緩和」です。
今回の件で中道家全員が様々な場面で涙している様子を視すると、
お恐らく自分一人だけではこの悲しみに耐えられないのではないだろうか、と。
学生の頃、テストで赤点をとってしまい、
周りの友達も同じ赤点だと少し安堵するかのように(筆者だけだったらすみません(._.))。
人間「自分だけ」と思うと多くのストレスを自ずと感じてしまう習性があります。
昨年夏にお勤めした「グリーフケア」の会で、「同じ境遇の人と共に」という学びがありました。
同じグリーフ(悲しみ苦しみ)を持ち合わせる人同士を集わせ(親を亡くした人同士、子を亡くした人同士)、それぞれの想いを語って頂くことにより、グリーフの緩和が生まれる、ということを学ばせて頂き、それを今回まさに実体験できたことに喜びを感じております。
犬だろ?
と思われる方もいるかも知れません。
そうです、犬です。三悪道といわれる畜生界の生き物です。
ですが、彼の死から家族全員が悲しみに暮れているのは紛れの無い事実です。
というのは、彼がそれだけ生前我々に愛、喜びを与えてくれていたということの裏返しです。
畜生道の生物が人間界の魂を動かしてくれました。
畜生道の生物ですら人間界の魂を動かしてくれるのです。
想えば伝えられると犬が教えてくれました。
神様仏様に沢山お経をあげようと思います。
我々の想いも神仏に届くはずです。
お盆です。
合掌 善隆