令和4年4月1日(金)午後1時より祈願会法要(月守授与)を厳修いたしました。朝方から冷たい雨が降り心配しましたが、それも法要が始まる頃には、風は強く、寒いものの、雨模様の空もすっかり上がりました。本日は花御堂の中にお釈迦様の御像をお祀りし、甘茶をかけてご生誕をお祝いする降誕会も同時に行われました。
読経に入る前に日蓮大聖人の御遺文を拝読させていただきました。当山でもこれから積極的に活動を展開する予定であります、グリーフ(大切な人やものを失った時に生まれてくる、その人なりの自然な反応・感情・プロセスのこと)の観点から、大聖人の御遺文を拝読させていただきました。深い悲しみ、悲嘆、苦悩、さみしさを抱える人たちが、その「悲しみ、苦しみ」から、次に生きるための小さな第一歩になっていただきたいと願っております。
本日はご祈願会です。方便品、自我偈、神力偈、咒陀羅、お題目、此要と進み、ご祈祷会では住職、副住職の木剣によるご祈祷がありました。まだコロナ禍でもあり、撰経を檀信徒の皆様に直接当てることは出来ませんでしたが、熱のこもったご祈祷をいただきました。
終わりに住職よりトイレの神様(烏枢沙摩明王)についての説明および5月の福壽稲荷大善神法要は一座で行う旨の案内があり本日の法要は終了いたしました。 合掌 善徹記
「千日尼御前御返事」
ちりし花もまたさきぬ。をちし果もまたなりぬ。春の風もかわらず、秋のけしきもこぞのごとし。いかにこの一時のみかわりゆきて、もとのごとくなかるらむ。月入りてまたいでぬ。雲はきへてまた来る。この人出でてかへらぬ事こそ天もうらめしく、地もなげかしく候へとこそをぼすらめ。等々日蓮在御判 南無妙法蓮華経
「現代語訳」
去年散った桜が今年も咲きました。去年落ちた果実が今年も生りました。春風は去年と変わらずやさしく吹き、秋の景色も去年と同じように心にしみます。自然はそのように巡りくるとうのに、どうして阿仏坊殿の生命だけが消え去っていって、もとに戻ることがないのでしょうか。月は入ってもまた出ますし、雲は行ってもまたきます。それなのに人は死んだらもう帰ってこないということこそ、天も恨めしく、地も歎かわしいことです。