11月21日(日)午後1時より、供養法要を厳修しました。コロナ感染者はかなり減少し嬉しいかぎりですが、このまま増えないことを願いたいですね。
読経前、久し振りに御遺文「報恩抄」の拝読をさせて頂きました。有り難いことに人身として生まれて来た私達は、誰かに恩を受けた場合、何らかの形でその恩に報いたいと思うのは当然のことでしょう。
コロナ感染症で自宅療養をしていた50歳代の男性が、高熱のため医師から入院を勧められていたのですが、可愛がっていた飼い猫が心配で入院を拒否し、結果そのまま自宅で死亡したと言う新聞記事が載っていました。大変に痛ましい記事にですが、家族同様に思っていた飼い主の心情が窺われます。とても真似の出来ることではないと思うのは私だけではないと思います。
また可愛がっていた柴犬が主人が亡くなった後八ヶ月も毎日、主人の墓参りを続けたと言う話題が地方の新聞に載っていたとのことです。(大平宏龍著 心が温かくなる日蓮の言葉より引用)
人の命が軽んじられている世の中です。このように動物に教えられることも沢山あります。肝に銘ずべしと言うことでしょうか。
「報恩抄」
夫れ老狐は塚をあとにせず。白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし。いわうや人倫をや。等々日蓮在御判 南無妙法蓮華経
「現代語訳」
年老いた狐は決して生まれた塚を忘れず、死ぬ時はかならず首をもと住んでいた塚に向けると言われています。
昔、中国の晋の毛宝と言う少年に助けられた白亀はその恩を忘れず、毛宝が後に戦いに敗れた時、背に乗せて窮地を救った、と言われています。
このように動物でさえ恩を知り恩に報ずるということがあります。まして人間が恩を知り恩に報いることをわきまえないでよいはずがありません。
方便品、自我偈、神力偈、呪陀羅、お題目読経の後、自我偈三転読を読経致しましたが、太鼓で失敗しまし済みませんでした。檀信徒の皆様にお詫び申し上げます。今後一生懸命精進致します。
終わりに住職より、妙信寺グリーフを3月に実施すること等の話があり本日の法要は終了致しました。 合掌 善徹記