月別アーカイブ : 2018年 6月

6月17日供養法要

6月17日(日)午後1時より供養法要を厳修いたしました。読経前に四条金吾殿御返事のご遺文の拝読をさせていただきました。苅谷日任上人法話集「心と魂のお話、法華信者の生活」の中で、四条金吾殿御返事の「苦楽」のことについて法話をされておられます。、苦をば苦と悟って努力を続けてゆくと生活が真実となり、いつの間にか苦痛が楽しみになる、とご教示されておられます。苦しくても諦めて放り出すのではなく、毎日毎日を大切にして不断の努力を続けていくことが大切だとつくづく感じた次第です。法要後住職よりご挨拶ならびに水無月、梅雨について分かり易く法話がなされました。善徹記

四条金吾殿御返事
ただ世間の留難来るとも、とりあへ給うべからず。賢人・聖人も此の事はのがれず。ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と、となえ給へ。苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて、南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給え。
等々日蓮在御判 南無妙法蓮華経

「現代語訳」
ただ世間の種々の難がおこっても、とりあってはいけません。賢人や聖人でも、この留難はのがれられないのです。ただ女房と酒を飲みかわして、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。これこそ自受法楽ではありませんか。益々強盛の信心をしていきなさい。

写真はご遺文拝読、法要風景、住職による法話

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6月1日 祈祷会

去る6月1日、月例 祈祷会を修行致しました。

この日は先日、薬王寺に行ったときに感じたことと、生ける人への供養についてお話させて頂き、住職からは蓮根を何故お供えするのか、その意義についてのお話がありました。

 

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いま妙信寺には住職と住職の弟子が2人居ります。

その弟子が私と、もう一人は度々ブログにも登場しますが、善徹師であります。善徹師は元々妙信寺総代として、妙信寺が下末吉にある時から、ご支援頂き、また私が幼少の時から面倒を見て頂いておりました。

善徹師は元々されていたお仕事を定年退職後、僧侶の道を志され、平成25年に得度(お坊さんになること)されました。

それからというものは、妙信寺のお寺側の人として、ご尽力くださっています。年齢でいうと、私と善徹師は孫と祖父の様な関係になりますが、書類上は私の方が先に得度しておりますので、私の方が兄弟子という存在になります。

先日の薬王寺には住職と私ら弟子2人でお給仕に行って参りました。

そこでは善徹師は妙信寺はもとより薬王寺にも大変ご尽力頂いております。薬王寺は何度かブログにも上げておりますが、周りには緑だらけなので草むしりや雑務が仕事の大半を占めてしまいます。そんな中、善徹師夫妻は毎月、薬王寺に行って頂き草むしり雑務をしてくださっているのです。本来であれば、定年退職後、世間で言えば、御意見番の立ち位置に立っていてもおかしくない方がこうして、私と一緒に雑務をして頂けるという事は、大変有り難く、この事実を「有難い」という言葉だけに修めてしまってはいけないのではないか。と考えてしまうほどです。

もし、この弟弟子が私の実の弟であれば、この様なことを気づかなかったのだと思いますが、書類上、弟弟子の実年齢でいうとおじいちゃんの善徹師が私と同じ、社会で言う新人がする雑務を一緒にして頂ける。この尽力する姿を見ていると色々と感じるものが御座います。私の師匠(父親)が薬王寺を「益々発展させたい」という気持ちも勿論伝わりますが、このような血縁の無い第三者がこれだけご尽力くださるということは私がこの場所を継ぐに当り、大きな糧になり、また決心へ変わると信じております。

師匠といえど、実の父親です。師匠から学ぶことは数えきれないですが、弟弟子から学ぶこともまた数えきれません。

「亀の甲より年の功」という言葉がありますが、まさにこのことわざに尽きるのではないかな、と思います。経験に勝るものはありません。

御遺文やお経を読むことだけでは学べない、人間界の中の人間力について現在、勉強させて頂いてる最中で御座います。

 

「薬王寺で感じたこと」について、書こうとしたら長くなってしまいました。すみません。これ以外にもお話したことはあるのですが、文量の関係上、この辺りで終わらせて頂きます。また何かの機会に書かせて頂きます。

 

ご笑覧ありがとう御座いましたm(__)m

合掌 善隆 記

 
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