6月1日(水)の月例祈祷会において、「兄弟抄」を御拝読し解説を致しました。
「兄弟抄」
女人となる事は物に随って物を随へる身也。夫楽しくば妻もさかふべし。夫盗人なれば妻も盗人なるべし。是偏へに今生計りの事にはあらず。世世生生に影と身と、華と果と、根と葉との如くにておはするぞかし。木にすむ虫は木をはむ、水にある魚は水をくらふ。芝かるれば蘭なく、松さかうれば柏よろこぶ。草木すらかくのごとし。比翼と申す鳥は、身は一つにて頭二つあり。二つの口より入る物一身を養ふ。比目と申す魚は一目づつあるが故に一生が間はなるる事なし。夫と妻は是の如し。この法門のゆへには、設ひ夫に害せらるるとも悔る事なかれ。 等々日蓮在御判 南無妙法蓮華経
「現代語訳」
女性という存在は相手に随いながらも、かえって相手を随えるものです。夫が楽しめば妻も栄えますし、夫が盗人ならば妻も盗人となるのです。こうした夫婦の契りはこの世ばかりのことではありません。世々生々に影と身と、根と葉との如く相添うものです。木に棲む虫は木を食し、水に棲む魚は水を口にしています。芝が枯れれば蘭が嘆き、松が栄えれば柏は喜ぶと言われていますが、草木でさえそうなのです。比翼という鳥は身は一つで頭は二つあり、二つの口から入る物が一つの身体を養うのです。比目という魚は雌と雄が一目ずつしかないので一生の間離れることがありません。夫と妻とはまさにそのようなものであり、法華経の信仰を全うするためには、たとえ夫に殺害されるようなことがあっても後悔してはなりません。