4月17日(日) 先祖供養会において拝読・解説をいたしました。
「西山殿御返事(三三蔵祈雨事)」
されば仏になるみちは善知識にはすぎず。わが智慧なににかせん。ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり。而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり。されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り・梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり。而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく善知識は爪上の土よりもすくなし。
「現代語訳」
仏に成る道は善知識に勝るものはありません。我が智慧は何の役に立つでしょうか。ただ暑さ寒さを知るばかりの智慧だけでもあるならば、善知識が大切です。しかしながら、善知識に値うことが最も難しいことなのです。それ故、仏は善知識に値うことを、一眼の亀が浮木の穴に入るようなものであり、梵天より糸を下げて大地に置いた針の目に通すようなものであると譬えられているのです。その上、末代悪世には、悪知識は大地微塵よりも多く、善知識は爪の上の土よりも少ないのです。