秋元御書(筒御器抄)

器は我等が身心を表す。我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。法華経と申すは仏の智慧の法水を我等が心に入れぬれば、或は打ち返し、或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆ひ、或は口に唱へじと吐き出しぬ。譬えば器を覆するが如し。或は少し信ずる様なれども又悪縁に値うて信心うすくなり或は打ち捨て或は信ずる日はあれども、捨つる月もありこれは水の漏るが如し。

「現代語訳」

器は、我等の身心を表しています。我等の心は器のようなものであり、口も器、耳も器です。法華経というものは、仏の智慧の法水ですが、それを我等が心に入れると、あるいは打ち返し、あるいは耳に聞くまいと左右の手で二つの耳を覆い、あるいは口に唱えまいと吐き出すのは、例えば器を覆すようなものです。あるいは少し信ずるようであっても、また悪縁にあって信心が薄くなり、あるいは打ち捨て、あるいは信ずる日はあっても、捨てる月もあります。これは水が漏れるようなものです。

 
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