万燈をともす人もあり、千燈をともす人もあり、あるいは百燈乃至一燈をともす人もありけるに、ここに貧女と云う者ありけり。貧しき事譬うべき方もなし。身に纏ふ物とてはとふ(十府)のすがごも(菅薦)にも及ばざる藤の衣ばかりなり。四方に馳走すとも一燈の代を求るにあたはず。空しく歎き思いつもれる涙、油ならましかば、百千万燈にともすとも尽きじ。思いの余りに自ら髪を切り、手ずから、かづら(鬘)にひねりて、油一燈にかへて、わずかにぞ灯したりけるに、仏神も三宝も天神も地神も納受を垂れ給いけるにや、藍風・毘藍風と申す大風吹きて燈を吹き消しけるに、貧女が一燈ばかりが残りたりける。この光にて仏は祇園精舎へ入らせ給いけり。これをもってこれを思うに、たのしくして若干の財を布施すとも、信心よわくば仏にならんこと叶い難し。縦い貧なりとも信心強うして志深からんは、仏に成らん事疑いあるべからず。
「現代語訳」
万燈を燈す人、千燈を燈す人、あるいは百燈を燈す人、一燈を燈す人などさまざまでしたが、その中に一人の貧女がおりました。その貧しさはたとえようもなく、身につけているものは十筋に編んだ菅ごもにも及ばない藤の皮で作った衣だけです。貧女は諸方を駆けまわり一燈の代金を求めましたが、それを得ることができません。走りまわったかいもなく、歎き悲しんで流す涙がもし油であったならば、百万燈を燈しても尽きることはないと思われるほどでした。貧女は考えた末、自分の黒髪を切って鬘に作り、これを売って一燈の油にかえて燈すことができました。この殊勝な貧女の真心を仏・神もそして仏法僧の三宝も天神・地神も感じられたのでしょうか。多くの物を吹き壊す藍風・毘藍風という大風が吹いて、すべての燈を吹き消したにもかかわらず、貧女の一燈だけは消えずに残り、その光によって釈尊は祇園精舎へ入られたのです。以上のことから考えてみますと、自分の満足のためにいかに多くの財宝を布施したとしても、その人の信心が弱ければ仏になることはできないということです。たとえ貧しくとも信心が強く、志の強い人は仏になることは間違いありません。